プランナーの 中上 です。
スガワのブログに触発されて・・・今日はちょっと長くなります。。。 (いつも長い??)
私が尊敬する経営者の方のコラムにこんな文章がありました。
「家は心にある」
「家」、「ホーム」。
東洋も西洋も大変心響く言葉である。
「家に帰ろう」の一言は弱った人々の心をどれほど救い、冷えた魂をどれほど暖めてくれるだろうか。
「家」は建物ではない。「家」は家具と内装ではない。「家」は戸籍の構成ではない。
「家」は家族同士の愛であり、心の絆である。
だから住むところは狭いところでもいい、借家でもいい、頻繁に変わってもいい。
太陽が沈み闇が支配する頃、愛し合う家族が集まる。その場所は「家」となるのである。
「家」を実感するのは妻の「お帰りなさい」であり、夫の「ただいま」であり、子供の「今日は・・・」の報告である。
いつもの人と一緒に風呂に入る、いつもの料理を口にする、いつもの人とキスする。
「家」はその瞬間に心に入り込んでくる。「家」は心にある。
~(中略)~
子供が大きくなると何を覚えるだろうか。
「家」の広さではない。「家」の豪華さではない、「家」の所有者ではない。
子供たちが覚えているのは「家」で何を食べ、何を教えてもらい、何を体験したかだろう。
「家」が作られるが、やがて消える。
子供たちが自分の「家」を持ち、元の「家」にたまに戻る。
愛する人が天国に行き、「家」にはとうとう最後の一人が残る。
往時の絆と愛を思いながら天国での新しい「家」を夢見る。「家」は心にある。
(夕刊フジ2009年2月18日「宋文洲の会社員哲学」より)
わたしが育った「家」は、わたしが小学校へ上がる前に建てられました。
引っ込み思案だったわたしが途中で転校しなくて済むようにと、
父と母がまだ20代後半の若いときに、
当時分譲し始めたばかりの新興住宅地に小さな「家」を建て、
懸命に働きながらわたしたちを育ててくれました。。。
わたしはその「家」で約20年間暮らしました。
母は毎年ガーデニングで家と庭を彩り、
外壁の張替え以外のリフォームは、ほとんど父がやりました。
収納の造作、設備の取替え、床の張替え、下足収納、
外部の物置や車庫も父が作りました。
私と弟の学習机も。。。
小学生だったわたしたちに部屋の大きさに合わせた二人用の机を・・・
この世でたったひとつの大きな机が出来上がったときの喜びは今でも忘れません。
わたしと弟にそれぞれ個室を与えてくれたけれど、
テレビはリビングにひとつだけ。20年間ずっと。。。
思い出すのは、リビングでの家族の団欒。
採れたての野菜を使っての庭でのバーベキュー。
叱られて真っ暗な物置に閉じ込められて大泣きしたこと。。。
子育てを終えた両親は、今はとある田舎に引越し、
更に大きな土地で庭づくりや日曜大工を・・・
数年前に手放した「家」は、若い夫婦の手に渡り、別の家族の「家」になっています。
もう戻ることはないけれど、わたしが育った「家」は、今もわたしの心の中にあります。
そんな家で育ったわたしは、小さい頃から、 「家」の絵を描くことが好きで・・・
将来は、「家をつくる人」になりたいと思っていました。
今は、多くのお客様の家づくりのお手伝いをさせて頂いていることをとても幸せに感じます。
小さなお子様を持つご家族とのお打合せのときには、
「この子達は、新しい家でどんな風に大きくなっていくのだろう・・・」と思ったりします。
結婚したばかりの若いご夫婦や、
子育てをひと段落したご夫婦のときも同じです。
みなさん、新しい「家」でどのような暮らしを作っていくのだろうか・・・と考えます。
「家づくり」は家が完成して終わりではありません。
家族にとって「家」は建ててからが始まりです。
「家」は、家族とともに成長し、そこでたくさんの物語が作られます。
わたしたちは、そんな大切な家族の物語の舞台(ステージ) 。。。 (あれ?)
を形づくるお手伝いをさせて頂いているのだと・・・
喜びと同時に、身の引き締まる思いです。。。 (閉めまで一緒?)
わたし自身、これまで経験したこと、そしてこれから経験することを・・・
物語のステージづくりに存分に活かしていくとともに・・・
いつも心に、自分の「家」を持っていたい・・・
そう思います。